2023.04.3(Mon)
鹿児島大学生が言葉を紡ぐ、エッセイシリーズ「KADAI LOG」。今の鹿大生だからこそ伝えたい、あんなことや、こんなことをつぶやいてもらいます。第1弾のテーマ「私/僕の温泉ライフ」について、藤山諒子さんに語ってもらいます。
しめり髪に告ぐ
墨汁を思わせる不透明さ。
水面には銀の光をチラチラと放つ糸が波をつくっている。
垂れ込む屋根の下を這う私の動きに導かれたものたち。風に靡く白い湯けむりに誘われるまま身を任せて進むと、不定期に鳴るぼちゃぼちゃという不恰好な音がよく聞こえるようになった。
いつの間にか空に消えてしまうそれが悪戯に私の魂を吸い取るような気がして少し怖かったけれど、「それでもいいや。」と思ってしまう。ぼんやりとした温もりが染みていて、頬の溶けるような感覚が心地よかった。身を浸かると軽くなるのにあやかって、心もそのあり場を手放す。
私の知らない場所で、勝手にそうするのだ。
眼前の痩せた幹には淡い黄の電光が宿り、それが数秒ごとに切り替わるので蛍のように見えた。下から順になぞりながら見上げ、「うわあ。」と思わず声を漏らしてしまう。
染まらない山奥の恩恵。
昨日そこに置いたように新鮮な、大きな星の粒たち。
後ろに迫る暗闇に吸い込まれる気配がまったく無いのだ。「我が輝きを!」と言わんばかりの迷いない胸の張りようが、瞳の奥底にまで落ちてきた。そんな大空がなんとも誇らしくて、輝かしくて、そして羨ましかった。
見上げることしかできない無力さはいつだってそうなのだけれど、今回ばかりは本当に参ってしまった。圧倒的に異なる世界線を見せつけるようにして大きく構えているので、手を伸ばすことさえなかった。
その一つひとつを潰すようにして見つめ、全てを受け入れる。
そうして、歴とした感銘を飲み込むしかなかった。
決して短くはなかったこの放浪も、この地で終わりを迎えようとしている。
幾つかのそれなりに大きな決断と、そして弱々しく震える心。
見失わないように胸に宿し続けたその情熱の先に裏切りはなかったと、渦中にありながらもそう強く言えるかもしれない。
馴染んだ椅子にだらりとからだを預け、将来に抱く構想を際限ない文字へ延々起こしていたあの夜が懐かしい。
留まり続けることに抱いた嫌悪の矛先を必死に探していたあの夜。
何をするにも、どう生きようにも、そこには意志と何らかの行動がなければならなかった。そしてそれを定めるのがどれほど苦しいものか、若い時分なりによく分かっていた。
休学届を出した二十一の夏。
来年の夏(今となっては目前)に控える留学へ向けた資金を得るために、日本各地へ出稼ぎに行くことを決めた。「わざわざそんな遠くに行かなくても。」「寂しくないの?」と、そんな声を肩に弾いて。
別府、箱根と巡って来て、最後に辿り着いたこの信州。
住み込みで働くとなるとやはり手立てはリゾート地だった。秘境を売りにする宿泊施設は奥だった場所にあることが多く、それ故に、従業員のための寮が抜かりなく用意されている。
数ある名所の中から温泉地を縫い進んで来たのにはやはり、亡き祖父との思い出が絡むのかもしれない。この短い人生においての未知なる挑戦。握り飯程度の勇気では事足り無い。温泉というどこか懐かしい要素が、私に少しの安らぎを与えるのだと思う。
共働きの両親のもとで育った私たち兄妹は土日になるとよく祖父母の家に預けられていた。県を跨ぐ高原、行きつけの定食屋、渓谷、南下した先の海岸。祖父は本当に色々な場所へ連れて行ってくれた。
そしてどんな一日の終わりにも、決まって温泉へ向かうのだった。近所の銭湯から、向こうの半島の山奥にまで。
すでにどこかへ行ってしまったものを思い起こすとき、そこに圧倒的な意欲はなくとも、それらは長らくその時を待っていたかのように容易くこちらへ駆け寄ってくる。細やかに刻まれたものを除けることができていれば、この儚さに名を与えるといった愚行も、そこに預かる刹那に身を溶かすといった苦悩も知らずに済んだだろうに。
それでも私は、その深層へ落ちていくことを厭わない。垂れるシャンプーに目を瞑りながらいると、やはりその時代がこの胸に登ってきた。
汗のない額に風が当たり、前髪が冷えていくあの時間が好きだった。
ハンドルを握る祖父の焼けた腕。お菓子の袋を縛った硬い輪ゴムを解くのに苦労する祖母と、助手席には学校での出来事を饒舌に語るまだあどけない兄がいた。
私は決まって左後ろの席。
景色をぼんやりと眺めたり、幼いながらにその心地よい車内を俯瞰したり。
温泉を出るのは夕方だったので、帰る頃にちょうど日が翳り始める。黄昏を纏っていた車内にネオンが差し込むようになると今日のそれが沈んでいくのを感じて、その移ろいに寂しくなるようなこともあった。私と祖母の真ん中で眠る妹の重みがこちらへ偏る日は何だか嬉しくて、そうしているうちに少しずつ、兄の声が遠のいていくのだった。
何だか切なさが湧く。
不可逆な時代であるという事実を払いのけることは永遠に叶わない。
この地においてのみ見えるその空を、そうであると知りながらもう一度見る。
湯船を囲うようにして育った木々がその片隅に三角を作っていた。その中にオリオン座がすっぽりと収まっていたのは貴方の思惑だろうか。
箱根での日々。
伸びる帰り道の真上にいつも浮かんでいたオリオン座。
あれは年越しの季節だった。時折の休日、暗いライトに色気漂うカフェに赴き、腰を下ろしてホットココアに甘えながら年賀状を書いたのだ。
家族や友人を想って切なくなるのをずっと冬のせいにしていた。雪が降って、そして溶けた。およそ二ヶ月の間、毎晩それを眺めて過ごした。
あの場所から遠のいた今夜においてそれを眺める、そのロマンにまんまと浸ってしまう。
歩みを進める度に自信と強さを見出し、その上に確かな思い出と経験を培ってきた。それはきっと、あの日の私が欲しいと心から願ったものだ。どんな言葉が飛び交おうにも、その空には確かに、今日までの時間の重なりと厚みがあった。
私だけに落ちて来たそれを、私は一人で堪能した。
その夜は、そんな風に心を放つことが許されるような気がした。
それが三角の中からはみ出ようとするのを頃合いに、彼にさようならをした。
ほうじ茶か、緑茶か、冷水か。
懐かしい匂いが漂うのもそのはず、その横には長机が閑散と並べられた大広間があった。
畳に素足の擦れる音が懐かしく、ついつい一番奥まで辿る。日中はお食事処になっているらしく、焦げついた色の木目にこれまた既視感のあるメニューが乗っかっていた。
最も落ち着く胡座を解いて寝転がる。
入り口に座っていた女性に待ち人がやって来たのだろう、男性の声がして、「サウナ苦手なのにね。」という笑い声がした。
しばらくして、また静まった。
私は目を瞑る。
まだ湿った前髪がこめかみへ流れ、じっと、その感覚をそのままに居た。
ずっと保ってきたもの。
緩めて仕舞えば戻れないと知って、そう繕って来たもの。
あまりにも、その匂いがしたせいだろうか。孤独と名づけてしまうのを忌みてきた日々を、今夜は少しだけ認めてしまった。
渦中であること、そしてこんな風にずっとずっと続いていくと知っていながら、そうすることに厭わずにいた身でありながら。
早く上がり皆を待つ祖父の姿もなければ、緑茶を決まって三杯飲む祖母もいない。アイスをねだる兄もいなければ、冷水のボタンを嬉しそうに押す妹もいなかった。
そして居なくなったあの子を、誰が探すというだろう。
畳の匂いがして、誰もいないのを知った。
前髪を揺らすあの風を乞うたのは、誰にも言わないでいよう。
文・藤山諒子