みなさん、こんにちは!

 

早速ですが、みなさんは鹿児島酒造という会社が販売している、「ちご櫻」という焼酎を知っていますか?

 

 

実は、私は最近、鹿児島に住んで20年間で初めて、ある場所で「ちご櫻」という焼酎を目にしました!

 

その場所というのは…鹿児島の観光地である長崎鼻です!

 

長崎鼻には多くのお店がずらりと並んでいるのですが、私はその中から「ながよし」にアイス目当てで入りました。すると、実はその店は酒屋さんで、多くのお酒が売られていたんです。

 

20歳になってもお酒を嗜むことには疎い筆者でしたが、好奇心一杯で店内を見回しました…

すると、お店の壁に貼られている、ポスターが目に入ってきたんです

 

実際の写真はこちら!

 

 

 

筆者
とても目を引く素敵なポスターですよね!

「ながよし」の店員さんにお話を伺ってみると…

「このポスターは、鹿児島酒造さんのちご櫻の前営業担当の方が書かれていて、全部手書きで、その方お一人で書かれていたんです!

 

と答えてくださいました!!

 

私はこの言葉にびっくり仰天

鹿児島酒造さんに連絡を取り、取材を申し込むことにしました。

インタビューの内容に入る前に、ここで鹿児島酒造さんのご紹介をいたします!

蔵元の歴史の始まりは、昭和62年に鹿児島酒造と社名を変更したときに遡ります。
芋焼酎の消費が伸び悩む当時、女性に喜ばれる焼酎はなんだろうという問いから、10年ほどの試行錯誤の末、焼芋をヒントに「やきいも焼酎」(現在は「やきいも黒瀬」)を販売しました。
現在はその焼酎が蔵一番のヒット商品になっています。
会社概要
会社名「鹿児島酒造株式会社(かごしましゅぞうかぶしきがいしゃ)」
代表銘柄「さつま諸白」
TEL 099-233-1561
FAX 099-233-1644
URL https://kagosyuzo.jp/

 

さてさてでは、インタビューの内容に移りますね!

今回、インタビューに答えてくださったのは、浮辺孝治さんという方です。

現在、鹿児島酒造さんを定年退職されていましたが、快くインタビューに答えてくださいました。

※インタビューは、名山町にある鹿児島酒造さんの事務所で、コロナ対策を万全に行った上で実施いたしました

 

筆者
初めまして!今回インタビューさせていただく、あやかです。
よろしくお願いします!

浮辺さん
よろしくお願いします。

筆者
さて、早速ですが、
鹿児島酒造さんに就職しようと思ったきっかけは何だったんですか?

浮辺さん
元々、高校を卒業してからは故郷の知覧で家業を手伝っていました。
そこから22歳で上京して、15年ほど着物のデザインする会社に勤めていました。
しかし、着物を購入する人が減っている現状から、転職しようと思ったのがきっかけです。
39歳の頃に、営業職で再就職しました。

筆者
そのような会社から転職して、営業職に就かれたのですね…
転職したことで大変なことってありましたか?

浮辺さん
元の職業とは違い、日々、数字との戦いでした。
環境は変わるものであり、今現在、焼酎は売れなくなってきていますが、焼酎ブームの頃は本当に大変でした。
焼酎が売れて数字が出てくるため、嬉しい反面、「怖い」という感情も生まれました

筆者
「怖い」ですか…
売れる=「嬉しい」という感情かなと思っていたので、私にとってはとても意外な感情なのですが、具体的にどのようなことから「怖い」と感じたのですか?

 

焼酎ブームで注文の電話は鳴り止みませんが、急なブームのためこちらの在庫には限りがあります。
そうすると、電話でお断りの旨を伝えないといけなくなってしまいます。
とても心苦しく、そんなときに「怖い」と感じました

筆者
そうなのですね…
簡単に「売れること=嬉しいこと」と結び付けていましたが、
実際に現場で働いている方の感想を聞いてその限りではないと気づけました。
そのような大変なことを経験した浮辺さんが考える、営業に必要なこってありますか?

 

浮辺さん
そうですね…
私が思うのは、「売れる商品を作るためのアンテナを張り巡らせておく」ということです。
商品は自己満では売ることができません。そのため、世の中の人がどのようなものを欲しているのかを嗅ぎ分けるアンテナを張り巡らせることが大切だと思います。

筆者
そのように張り巡らせていたアンテナから生まれたのが、今回の話題となる「ちご櫻」だということなんですよね。
販売されなくなっていた焼酎が、具体的にどのようなきっかけで復刻版となって生まれ変わったのですか?

浮辺さん

ある酒屋さんが、復刻してみないかと提案してくれたことがきっかけです。

それがきっかけで周りの酒屋さんにもアンケートをとってみました。

そうすると同じような声が多くあったのです

 

 

筆者
そんなきっかけがあった中、実際に商品化する中で大変なことってありましたか?

浮辺さん
「ちご櫻」は「昔ながらの焼酎の味」です。
なので、数字的に見込めないのではないかという意見もありました。

筆者
そんな中、商品化が決定したのですね…
でもちご櫻は鹿児島限定、1年の中で2回しか販売されないとお聞きしました。
なぜ、そのような「限定」に拘ったのですか?

浮辺さん
今売られている焼酎は県外にも売られているものがほとんどです。
そんな中、県内のみで販売される焼酎が鹿児島の郷土的に必要なのではないかと感じました。
また、通年販売にしなかったのは、購入者に印象を強く持ってもらうためでした。
これは約80の酒屋さんからアンケートをとって生まれた意見です。

筆者
鹿児島酒造さんから生まれた意見だけではなく、酒屋さんから生まれた意見も商品化する上で、反映されているのですね!!
では、そろそろ、このポスターについてお聞きしていきたいと思うのですが、どうしてこのような絵を描こうと思ったのですか?
「ちご櫻」は、復刻版とは言うものの、現代の人には知名度が低い焼酎です。
そのため酒屋さんに対してただ「売ってください」というのは失礼だと思いました。
目につくようにこちら側が努力すべきだと思って、このポスターを書き始めたんです。

 

筆者
なるほど…!!
ただ売ってもらうだけでなく、売ってもらう側も努力すべきだという考えから生まれていたのですね!

浮辺さん
このポスターも、もちろんですが、一緒にパンフレットも作っていました。
毎回、30枚近くを「ちご櫻」が販売される時期になると、描いていました。
パンフレットは描いたものを印刷して配っていましたが、ポスターは全部手書きです。
↓浮辺さんが描かれていたパンフレット

筆者
それは…すごすぎます…!!
30枚近くをどのくらいの期間で書いていたのですか?

浮辺さん
「ちご櫻」の販売の3ヶ月前から、1ヶ月に10枚を目標に描いていました。
最初の頃は家で書いていましたが、朝と晩に、会社で一時間ほど、勤務時間外に描いていました。

筆者
自分の時間を見つけてコツコツと書いていたんですね!
正直、大変ではなかったですか?

浮辺さん
もちろん大変でした
でも、自分の好きなものを好きなように書くことができていたから、ここまで続けられたのだと思います。

筆者
人の「好き」という感情が人の行動の原動力だということを改めて実感します…
ここで、ポスターを1枚1枚見て見たいと思うのですが…
最初のポスターに描かれている文章は、浮辺さんが考えられたんですか?

 

浮辺さん
いえいえ!これは、「ちご櫻」が売っていた頃に使われていた、謳い文句です。

 

筆者
そうなのですね!
当時の謳い文句を使うことで、当時に実際に愛飲していた人たちも懐かしさを感じたかもしれませんね!
では次に、途中で歌舞伎風の絵に変わっていますが、何かきっかけがあったのですか?

浮辺さん
元々歌舞伎の隈取りが好きでしたし、歌舞伎風の絵柄に絵力があると気づいたからです。

筆者
確かに、歌舞伎風の絵になってからより印象強くなっています…!!
退職されていますが、絵は今でも書かれているのですか?

浮辺さん
そうですね。今でも描いています。
今年の春ごろに、私の妻が、家に飾っていた龍神の絵をFacebookにあげたところ、反響が大きかったんです。
この反響が大きかった絵を、龍神の絵ということで、龍に関係がある神社に奉納しようと思い、持って行ったところ、飾ってくれることになりました。
そのことが最近の出来事の中では嬉しかったですね。

筆者
それは素敵な出来事ですね!
では、最後に、お聞きしたいのですが、浮辺さんの座右の銘などはありますか?
そうですね…「続く、続かないにしろ思ったことはやってみる」という言葉です。
自分が興味を持ったことは、とりあえずやってみるのです。その中で続くのもあるし、続かないのもあっていいというスタンスでやっています。
そうすると気負わず、いろんなことに挑戦できるようになるのです。

筆者
とても心に響く言葉です!
私は挑戦する前に諦めてしまうことが多いのですが、この言葉を胸にこれからは何事にも挑戦していきたいと思います。
さて、今日は貴重なお話をありがとうございました!これから新しいポスターは見られなくなってしまうのは残念ですが、お体に気をつけてこれからも素敵な絵を描き続けてください!!

 

浮辺さん
ありがとうございました。
↓今回、インタビューに答えてくださった浮辺孝治さん

 

最後に

さて、今回は、私のふとしたきっかけからインタビューを行い、貴重なお話をたくさん聞くことができました。

その職に就かなければ感じられない貴重な感情だったり、新しいものを作り出す難しさだったり、自分から行動を起こすことの素晴らしさだったりを聞くことができ、私にとっても、とても大切な体験となりました。

このインタビューのきっかけとなった「ながよし」の店員さん、私と浮辺さんをつないでくださり、インタビューの場所までお貸しいただいた鹿児島酒造さん、そしてインタビューに答えてくださった浮辺さん。

本当に多くの方のご協力のおかげでこの記事を書くことができました。

本当にありがとうございました。

 

自分の視野が狭くなりがちなコロナ禍の現在だからこそ、人と話すことは本当に素晴らしいことなのだと改めて実感しました。

ぜひみなさんもコロナ対策をしっかりした上で、久しぶりにいろんな人と話す機会を作ってみてはいかがでしょうか??

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