今回は映画「のさりの島」がガーデンズシネマで7月17日から上映されることを記念して、山本起也監督に映画の撮影秘話や映画に込めた思いをインタビューしてきました!
まずは、「のさりの島」の予告編をご覧ください👀
地元FM局のパーソナリティを務める清ら(きよら)は、昔の天草の8ミリ映像や写真を集め、商店街の映画館で上映会を企画する。ひょんなことから“将太”も、上映会の企画チームに連れ込まれてしまう。賑わいのあった頃の天草・銀天街の記憶を取り戻そうと夢中になる清ら。かつての銀天街の痕跡を探す中で、艶子の持っていた古い家族アルバムに、“将太”は一枚の写真を見つける—
本渡の大火、焼け跡を片付ける町の人々、復興後の祭りの様子…。街に流れるブルースハープの音色と共に、スクリーンに映し出された天草のかつての記憶。
「将太さん、本当はどこのひとなの…」
プロフィール
北白川派とは?
京都芸術大学の映画学科の学生たちとプロの人たちが一緒になって映画を作るプロジェクトです。もともと僕は映画の作り手をしていて、10年ちょっと前に大学で映画を教えないかと声をかけられて大学の先生になったんです。ただ、僕たちが学生の頃は映画を教えてくれる学校なんてほとんどなかったので、僕たちは映画を学校じゃなくて現場で先輩に叱られながら自分なりに学んできました。だから、教室で授業をするだけじゃなくて、実際に映画の現場を僕たちの手で作ってそこに学生たちを放り込まないとちゃんと学生たちに映画を伝えられないんじゃないかということで大学で映画を作ろうという話になりました。しかも作る映画は練習や経験のために作るのではなく、本当に映画館で上映するような、皆がお金を払って見るような映画を作ろうと。その中で学生は映画とはなにかということを本当にそこで感じ、そこからどのように生きていくか考えさせるのが僕たちの責任だろうということで始めました。大学が京都の北白川というところにあるので文学の世界に白樺派というのがあるように映画の世界でも北白川派があってもいいじゃないかということでこのような名前になりました。「のさりの島」はこの北白川派の映画の7作目です。
映画製作の裏側
天草が舞台になった理由
「のさりの島」はオレオレ詐欺の話なんですけど、オレオレ詐欺の映画を撮らせてほしいと言ったらだいたいのところはやめてくれって言われるので映画が実現しないまま宙ぶらりんになっていました。そこでうちの大学の副学長の小山薫堂さん(くまモンの生みの親)の出身が天草だから熊本だったら少しは話を聞いてくれるかなと思って熊本県庁に行きました。そして天草の人にこの話をしたら、「そういう話天草だったらあるかもしれんねえ。オレオレ詐欺の男が来ても、上がってお茶飲んでいきなさいっていうおばあちゃんいっぱいいるよ。」と言ってこの話を面白がってくれました。オレオレ詐欺をしている男なんて普通は捕まったらやばいから逃げるじゃないですか。でも、男はおばあちゃんに言われるがまま、上がり込んで暮らすようになっていった。僕はなんでこうなったか作りながらわからなかったんですけど、天草に行って僕がこういう映画を撮りたいと言って行ったら見ず知らずの僕を「ここならその話あるかもしれんばい、とりあえず焼酎飲むかい?」と受け入れてくれた、そういう天草の人のおおらかな雰囲気にこの男はだんだん絡め取られて、ここに居ついちゃうのかなあって思いました。その時、「この映画はやっぱりここでとらないといけない」と思いました。この天草の雰囲気が僕が天草で映画を撮らざるを得ないように持っていったんだと思います。
「のさり」について
「のさり」はいいこともそうでないことも、自分の今ある全ての境遇は、天からの授かりものとして否定せずに受け入れるという、天草の優しさの原点ともいえる言葉です。熊本の人は競馬やパチンコで勝った時などに「おお、のさっとるね」という風に使います。また、一方で水俣病について話されるときにも「のさり」という言葉が出てきます。患者さんたちは水銀を出した会社と闘争していましたが、時が経つにつれて憎み続けるのはつらいと言い始め、最後には「水俣病になったおかげで人のつながりや人の温かさを知ることができた、わたしは水俣病にのさった。」と言うようになっていきました。誰が見ても不運なこともそれはもしかしたら自分の人生に必要なことだったのかもしれない。むしろ一見不運なことは私の人生を豊かにしてくれたかもしれない。物事を全部、誰がどう見ても自分にとって不運なことも受け止めなおしていく。そういう感覚がこの「のさり」という言葉の根底にはあるような気がします。
実は、この映画のタイトルは僕が考えたのは違うタイトルでした。僕が考えたのは「ばあちゃんオレオレ」で、ちょっとくすっとできるようないいタイトルだと思ったんですが、小山薫堂さんがこのタイトルじゃだめって言って、タイトルが決まっていませんでした。いよいよ台本を印刷しなきゃいけない間際になって小山薫堂さんが「のさりの島」というタイトルを提案してくれました。だから、「のさりの島」というタイトルは一番最後に決まったのでこの映画に「のさり」という言葉は出てこないんです。でも今思うと最初に「のさりの島」というタイトルが決まらなくてよかったなあって思っています。「のさりの島」というタイトルを最初に決めていたら映画の中で「のさり」とはなにかということを理屈で説明していたかもしれません。「のさり」というのは理屈ではなくて、この映画全体が持っているこの世界こそが「のさり」だと後から気が付いたんです。いいタイトルだなと思いながらそんなこと考えてる余裕もなく撮ってしまった。撮った後で自分が撮った映画のこの世界こそ「のさり」だとあとからわかってきて、不思議な体験でした。
この物語が生まれたきっかけ
この物語が生まれたのは、もともとは佐村河内事件がきっかけです。当時、耳が聞こえない作曲家として佐村河内さんは人気者になりましたが、耳が聞こえないというのは嘘だったということが明らかになり、最後はゴーストライターの新垣さんという人が出てきました。あの時に、みんな情報として耳の聞こえない作曲家を素晴らしいと賞賛しましたが、また次の瞬間これも情報としてそれが嘘だったとわかり、みんな批判しました。それを見て、僕たちはどうして情報というもので世界にまるとかばつとか本当とか嘘とか決めつけて、ほめたたえたり怒ったりしているんだ、僕たちは何をしているんだと思いました。なんか恐ろしいなあって。だから、嘘かもしれないけれど自分がその嘘を信じて悪い気がしなかったらそれはそれでいいみたいな、そういう映画を作ってみたかったんです。嘘のおばあちゃんと嘘の孫が嘘の世界に自分たちから片足ツッコんでいったらほんとのおばあちゃんと孫みたいな気分になっちゃう。でも、しょせん嘘だから残念ながらそれは長くは続かない。そういう話があっても、むしろそういう方が僕たちの生きてる世界は豊かだと思います。そんなことは映画の中では言っていないけれど、嘘に「のさって」いく、自分で世界を感じ直していく、そこに僕たちが生きている世界の豊かさがある気がします。だから、僕は豊かな人生や豊かな感じ方の映画を作ろうと思いました。
登場人物の名前について
今の時代、世界中どこでもつながることができますが、つらくないですか?「あの時、道をきいて教えてくれた親切なお兄さん、ちょっとイケメンだったけど名前聞いとけばよかったな、どこの誰だろう、もう2度と会わないかもしれないな。」みたいな関係はちょっと素敵ですよね。なんでもかんでもあからさまにわかってしまうよりも自分の記憶の中に残っているだけで、もう2度と会うことはないかもしれないその人もどこかで今豊かな生を送っている、元気でね、みたいな。そういう関係性もいいんじゃないかって思います。そういうところにロマンを感じます。だから、映画を見終わった時にお客さんが「そういえばあの男だれだったんだろう、どこに行ったんだろう、この映画で起こったことを彼は今どう思っているんだろう」とかそんなことを考えられるように映画の中くらい全てを明らかにしないでおきたいと思ったからです。
映画を通して伝えたいこと
全て偶然のようで必然。損得関係なく受け入れていく「のさり」はコロナ後の世界で僕たちが大切にしていかなくてはいけない精神性だと思います。そういう精神性は熊本、鹿児島、宮崎つまり「のさり文化圏」に息づいています。この映画ではのさり文化圏のみなさんが代々引き継いできた「のさり」という感覚を知ることができて僕も豊かになりました。だから、この映画を見た鹿児島の方がその精神性を感じていただけたとしたら僕はその方にありがとうと伝えたいです。
鹿児島大学生へのメッセージ
「のさり」とは、いいこともそうでないことも、自分に訪れる様々な出来事は、決して偶然ではなく、すべてに意味がある、と感じること。コロナ禍で「何でこんなことになっちゃうんだろう」と、閉塞感を感じているあなた。映画『のさりの島』で感じ方を変えれば世界の見え方が変わるきっかけを与えてくれる。素敵な出会いを感じてください。映画『のさりの島』ガーデンズシネマで7月17日(土)から22日(木)まで上映です!
今回は普段、映画館で映画を見ているだけではわからないような撮影の裏側や作り手の思いを知ることができてとても嬉しかったです✨
大学生のうちからプロの方と本格的な映画を作ることができる京都芸術大学の学生たちはとてもうらやましいと思いました!
みなさんも同世代の学生がつくる映画をぜひ映画館で見てみてください!