お散歩にいい季節になってきましたね!
大学内を歩いていると、銅像がいくつか立っているのを見たことがある人もいるのではないでしょうか?
そこで、郡元キャンパス内で見つけた銅像5選を紹介します!
知らない方とも出会えるかも?(笑)
鹿児島大学正門前(農学部)からスタート!!
前に歩き進めると銅像が見えてきました~
1玉利喜造(たまり きぞう) 先生
・明治42年5月4日に盛岡高等農林学校より郷里の鹿児島へ赴任。施設の充実と精神陶治に努められ、質実剛健の校風を育成。・一度大正14年に、卒業生有志によって銅像が設立されたが第二次世界大戦中に供出された。台石にある傷は空襲によるもの。
・昭和24年朝倉丈夫氏によって作製。農学部開学75周年の昭和59年に現在の位置に移動。
右に歩き進めましょう! 大きな木がたくさん立っていて、緑をいっぱい感じられますね🍃
焼酎学研究棟「北辰蔵」がありました!その隣に立つのは…
・終戦後間もない昭和20年に旧制鹿児島農林専門学校に農産製造学、酸酵学担当教授として赴任。
・鹿児島大学設立後は農学部助教授として、昭和29年からは教授として引き続き同講座を主宰され、昭和41年には時代の要請により澱粉利用学講座の新設に尽カされた。
・さらに昭和46年には農学部長を、また昭和50年からの6年間は鹿児島大学学長を務められ、南太平洋海域研究センター(現多島圏研究センター)設立など多くの先見的施策を進められた。
・先生の温かな、かつ厳しい薫陶を受けた有志が相集って先生の胸像を建立し、先駆者としての先生のご指導・ご尽力に感謝するとともに、先生の面影とご功績が長く後進の情熱の糧となることを念願。
夢を持っている人を私は美しいと思う
蟹江松雄
理学部の方へ歩いていきましょう!!北辰通りを、中央食堂を右手に歩いていき、
市電の唐湊駅方面に歩いていくと、工学部近くにまた銅像を発見👀❢
3岩崎 與八郎(いわさき よはちろう) 氏
・明治35年5月1日鹿児島県曾於郡大隅町岩川生まれ。
・昭和18年造船・重工業に関与し、鹿児島の工学部門の高等教育機関の必要を訴え、私財をなげうち、鹿児島県立工業専門学校、現在の鹿児島大学部工学部の全身の設立に力を施した。
・昭和63年に設立。
稲盛会館方面に歩いていくと…右手に銅像を発見👀
4梶島 二郎 (かじしま じろう)先生
・明治20年東京都に出生
・七高理科東京大学数学科及び哲学科卒業。
・東京工業大学教授を30年務めた後、鹿児島大学工学部創設のため来鹿され、校長工学部長を歴任された。
いかがでしたか?
大学内を歩いているだけでもいろいろな発見がありますね!
ちなみに教育学部側も歩いてみたのですが私には銅像が見つけられなかったので、もし知っている方がいましたら是非教えていただきたいです!!他のキャンパスも探してみようと思います♪
教育学部にあったアート作品↓